9月7日

ニーハオあおい学院大口扶桑校の吉岡です。

前回の続きです。

「生徒会副会長」「瀬中野球部のエース」「成績はまあまあ」「芸術家の家を行ったり、来たりしている」さまざまな看板をもって、高校の門をくぐりましたが、何も通用しなかったです。


1年生の8月には既に高校に行く意味を無くしていたように思います。

ただ、1度始めたことは途中で終わりたくない。という精神で生きてきたので、相当しんどかったですが、陸上部は3年間続けることになります。


振り返っていつも思うことは、嫌々やっていた陸上でかなり成長したな。ということです。

簡単に言うと、「自分と向き合えたこと」「限界を知ったこと」ですかね。だから、野球をやる前に陸上をやっておけば、もっと野球がうまくなっていたなと感じます。


いろいろな球技をやっている諸君も一度陸上をやってみるといい。きっとその球技のレベルが上がるはず。


そうやって、つまらない日々を送っていたのですが、実は僕、高校は専ら美術大学志望でした。

しかも、沖縄県立芸術大学です。中学の修学旅行で沖縄を訪れて以来、「ああ、僕は将来沖縄に住むんだ!」と信じ込んでいましたからね。


でもよくよく考えると、ちょっと得意な絵で勉強から逃げたかったんでしょうね。


担任の美術の先生に「お前、美大行くなら、ここで絵を描いてこい」と言われ、広島市立大学の特別講習に行くことになりました。

そこでは石膏デッサンを行ったのですが、ショック過ぎて死にたかったのを覚えています。ビビるくらい、周りの人たちがうまかったのです。本当にショックでした。


そんなショックを受けている中、「今度はここへ行け」と言われた先にいたのが、河本さんだったのです。(小牧北校ブログ1/24をご覧ください。そう、現在CMを作るというとても貴いお仕事をされているお友達です。)

最初に言われたのが「袋、キャンドゥなんじゃね」です。


ぼくの島にはなかったのでキャンドゥが百円均一であることを知らずに、美術の先生に「吉岡。全部これに入れて行け」と言われるがままの袋で絵画教室に行っていたのです。


彼女は僕の知らないことをたくさん知っていて、また、手塚治虫の話なんて誰も聞いてくれないと思っていたら、彼女の方が詳しくて、最終的には松本人志の伝説の番組「働くおっさん劇場」を一緒に観る仲になっていました。


やっぱり話していておもしろかったのです。

ちょうど高3くらいになった頃でしょうか、「めっちゃ仲良い人が1人おったら、それでいいや」という思考に変わってきました。これが後の吉岡くんの指針になります。

部活を引退して、絵の練習。それが高3の8月ぐらいのことでしょうか。


突然、吉岡君は志望校を変更します。

次回へ続く。

じゃあの。


瀬戸内海の夕方というのはとても穏やかで、よく行ったものです。

高校生まではこんな風景の元で育ちました。

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